東京大学医学部附属病院 薬剤部
教授/薬剤部長
高田 龍平 先生
東京大学医学部附属病院薬剤部 助手
薬剤学研究との出遭い
小学生の頃から将来の夢は、科学者でした。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン、『ドラえもん』のひみつ道具が好きで、どうすれば造れるのかをワクワクしながら考えたものです。図書館でペガサスやグリフォンのイラストをみて、からだのつくりを空想していたこともありました。空を飛び回る架空の存在を、科学的に解明したかったのだと思います。
高校は静岡県内の高校の理系コースで学び、科学者になる夢を抱きながら東京大学に進学しましたが、当時の私の信条は「いかに要領よく結果を出すか」でした。周囲に比べ、勤勉な学生ではありませんでした。大学4年生になると分子薬物動態学教室に所属し、薬物トランスポーターの研究に取り組みましたが、指導教員の鈴木洋史助教授(当時)からも「真剣味が足りない」といわれたほどです(笑)。
ただ、研究を始めてからは、要領のよさだけでは太刀打ちできない世界があることに薄々気づき始めていました。途中から「粘り強く頑張らないと」と心を入れ替えましたが、6年に及ぶ研究で大きな成果はあげられませんでした。それでも「今の経験がいつか自分の成長につながる」と信じ、ある意味鈍感に、よくいえばタフに研究を続けました。
研究者としての紆余曲折
博士課程2年の夏には約2ヵ月間、サマースチューデント(インターンシップ)として、スイスにある製薬会社のADME部門で研究するという、貴重な体験をしました。
誰もが17時で退社し、雑務は専用のテクニシャンが担う素晴らしい環境でしたが、逆に研究に関する役割も細分化され、決められた範囲の仕事しかできません。メガファーマにそのまま就職する選択肢もありましたが、興味あることを徹底的に追究したい私には物足りず、あらためて大学で研究を続けることを決意した次第です。
そして大学院修了が近付いた頃、鈴木先生からのお誘いで、先生の異動先である東京大学医学部附属病院薬剤部で働くことになりました。研究漬けの日々から一変し、薬剤部では臨床業務があります。私は、「薬の知識不足がバレたらどうしよう」とビクビク過ごしていましたが(笑)、周囲にはすぐに見抜かれてしまいました。開き直りながらもコツコツ臨床業務を学んでいくと、薬の使用の実態や問題点を理解できるようになりました。「研究ばっかりやってないで」と病棟業務にも誘ってもらい、服薬指導で患者さんの役に立つ実感も得られて、非常によい経験となりました。
尿酸トランスポーターで成果をあげる
薬剤部に移籍してからは、生活習慣病発症に関連する内因性物質を輸送するトランスポーターをテーマに研究に取り組むようになりました。すると、以前から仲のよかった防衛医科大学校の松尾洋孝先生(現・教授)が、私が博士課程で研究していたABCG2が尿酸を輸送している可能性があるとして「一緒に研究しよう」と声をかけてくれたのです。鈴木先生の許可をいただき、仲間も増やして共同研究をスタートさせました。
尿酸は取り扱いの難しい化合物で、実験条件によってはすぐに壊れ、技術的な壁に突き当たる局面が多々ありました。それでも、「やるしかない」という思いのもと、毎晩のように電話で議論を重ね、デザインを練り直すなどして研究を進めて、2009年、ABCG2遺伝子多型を痛風の主要な発症要因として論文発表することができました。
体内の尿酸トランスポーターにはまだまだ生理機能が解明されていないものがたくさんあります。それらの特性を解明して創薬につなげるのは科学者としての私の夢であり、臨床で多くの患者さんに役に立つ治療を実現できれば嬉しいですね。
仕事で多忙な日々ですが、最近は息子、娘と虫取りにはまり、冬以外はセミ、バッタ、カマキリ、チョウチョを追いかけています。子どもの頃と変わらず、空を飛ぶ生き物が好きなんだなと思います。